生涯学習と社会と教育」カテゴリ内の記事を表示しています。
生涯学習は強制されてやるもんじゃない。自主的なものだ。会社の命令で、何とかというセンターで、何とか講座を受講しろというのにに従うのは、俺は生涯学習とは思っていない。また仕事上の必要に迫られ、あるいは収入を増やす、就職のための資格を得ることを目的とする学習も、生涯学習とは言い難いと思う。外部からの圧力、あるいは内部(自分自身)の生活の必要性からの強圧によるものは、生涯学習と、ここでは呼ばない。勿論、多くの通信講座や生涯学習を謳う企業や機関では、資格をキーワードにした生涯学習をPRしているケースも多...
生涯学習は、知識を得るだけのものではないと思う。勿論、知識も得られるので、生涯学習が知識を得るものではない・・とまでは言わないw知識を得るためであれば、生涯学習などと大げさな言葉を使うまでもなく、本でもインターネットでも、俺達の周りには情報源は、山のようにある。問題は、そこから先だ。情報や知識?には、いろいろなレベルがあって、そこから何を考えるかが重要だと思うのだ。その思考法、考える力を養うことこそが生涯学習のキモだと思う。まず、知識、情報をベースに自分で考えること。その先は、行動するのか、発言...
生涯学習の社会的意義を考える上で、騙されない教養、思考力を・・というのは、重要な要素だと思う。人間はけっこう考えるのは辛いものだと思う。そんなことはない・・という人もいるかもしれないけど、油断していると考えるより、誰かの言ったこと書かれたことを、そのまま受け取ってしまう。俺もそうだ。思考停止しているほうが、楽なんだよな。科学分野に限らず、なぜだろう、本当だろうかと疑うことはとても大事だと思うのだ。残念なことに、この思考法とか能力の習得は、多くの場合、義務教育だけでは不足していると思う。本当は4年...
生涯学習と社会的責任だが、かなり過激なことを書くw 日本は国民主権である。憲法に明記されている。誰かえらい人が、国の行く末を決めるのではなく国民が決める国である。実態はともかく、憲法や各種の法律はそれを前提としている。なのになぜ、政治家が悪いとなるのだろうか。主権にしろ権利一般には義務と責任があると思う。権利だけ・・なんて甘い話は、そりゃないだろうw 国の未来を考える責任は、政治家や官僚にあるんじゃない。主権を持っている国民にあるはずだ。じゃぁ・・と俺は思うわけだ。そんな責任、俺も今まで考えたこ...